仕事は、自分の拡張である

映画を見てきたので、メモです。

 

▼みてきた映画

映画『シーモアさんと、大人のための人生入門』

 

芸術は、ビジネス面を考えると、自分の弾きたい音楽ができなかったり、消費者が求める形に姿を変化させなくてはいけないことがあるのではないだろうか。商業的な要素を帯びると自分のやりたいことができない、顧客からのプレッシャーが強くなるなど芸術的な求める人ほど、悩まされる状態になることはイメージがつくのではないでしょうか。

僕達は、好きなものを作りたい、ただユーザーは違うものを求めている。芸術もそうで自分の作りたいものはあるが、ユーザーが本当にそれを求めているとは限らない。ユーザーが求めるものと商業的な求められるものとの乖離は、人の間でバランスをとれなくなることが度々ある。あなたなら自分が作りたいものとユーザーが求めているもののどちらをつくりますか。多くは、そのバランスを取ろうとした結果、非常に中途半端なものになってしまっているのだろうと思う。結果、いらない機能があったりと変わったものが次々と作られているのが今の日本の状態なのではないだろうか。

素晴らしいものには、何か心惹かれる何かがある。言葉にすることは難しいが、その何かが世界を楽しませ、驚かせ、結果的に商売としてなりたっている。例えばfacebookが例として挙げられるが、商売的な要素を持たないで作られたものが、結果としてユーザーをひきつけ、商売として成り立った。もともと広告を貼るために作られたプラットフォームではないということ。ユーザーがいかに楽しめるかを考えて作られたものである。

 

僕達が最初にできることは、献身的に目の前にあるモノ・サービスに対して献身的に取り組むこと、そしてモノ・サービスと一体化できたタイミングで、商業的な価値を生みだす何かが生まれる。順番を間違えると、自分はなんのためにモノ・サービスをつくっているのかわからなくなる。そんな状態だけはつくりたくないなと。(自分は特に)